2020/04/01 02:40

新古典派の描く同時代の処刑


ハプスブルグ家皇女からルイ16世妃を経て1793年に処刑されたマリー・アントワネットには、肖像画・革命前夜から革命時にかけてのカリカチュア・革命の記録画・後世の耽美的イコンなど、様々なジャンルにわたる数多くの表象が見られる。


肖像画においては、とくに女性画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランによる、パステルを用いてふわふわした質感と色合いを出したロココ絵画が後世の耽美的なアントワネット像に影響を与えた。日本では『ベルサイユのばら』やロリータ文化などを通して、ロココ的なアントワネット像の受容が見られる。


フランスの国勢はヨーロッパ全土の関心事であり、イギリスやドイツなど周辺諸国でもカリカチュアが描かれた。当時、風刺される人物は痩せこけた姿で描かれるか、動物になぞらえられることが多かった。


革命時に描かれた記録画においては作品性より即時的なニュース性が重視され、匿名の作者によるものも多く、ペン画や水彩など速く描ける技法が多用される。印刷・配布を前提として銅版画も作られた。カリカチュアや記録画は「大衆」という新たな市場に向けて描かれた(参考:多木浩二『絵で見るフランス革命』岩波新書、1989)
革命政府のお抱え画家となるダヴィッドは、革命の「理知的」で「美しい」面を強調した新古典主義的な油絵を仕上げる過程で、多くのデッサンを残している。とくに、簡素な服をまとい両手を縛られた険しい顔の中年女性として描かれた処刑直前のアントワネットの素描には、全盛期の王妃を描くロココの肖像画にはない強靭さと気品がある。


18世紀前半にローマ時代の遺跡やポンペイ遺跡が発掘された影響で「古典古代」への憧れが強まり、美術評論家ヴィンケルマンによる「ギリシア美術」を称える評論が西洋美術に影響を与えた。当時ギリシア美術と思われていたものは実際にはそれ自体がローマ時代に行われた模倣だった。古典古代とは「作られた伝統」だとも言える。

ヴィンケルマンを理論的支柱とする新古典主義は、派手好みのバロックや、表層的で装飾的で色の豊かさを好むロココ(後期バロックとも見なされる)に対して、荘重な様式とデッサンによる形の確かさを重んじ、18世紀半ばから19世紀初頭にかけて主流となった。古典古代の表現様式に「人間理性」の「普遍性」を投影する新古典主義の理念は、革命政府の理念と一致した。

「形」VS「色」の対立軸は、「普遍」VS「個別」という図式に還元でき、美術史や思想史においてさまざまな形で繰り返されている。美術家中ザワヒデキは話をデジタル画像に広げ、ベクターは形の原理優先、ビットマップは色の原理優先、という見方を提示している。


イギリスの画家ウィリアム・ハミルトン(William Hamilton,1751-1801)による《刑場へ連行されるマリー・アントワネット》(1794)はアントワネットの処刑の翌年に描かれ、美術史的には新古典主義に位置付けられる。ローマ風のシンプルな衣装を着けたアントワネットは目を天に向けており、殉教者を描くキリスト教絵画の様式美を持つ。激しい感情を晒す民衆が描かれている一方、ハミルトンの筆致はあくまで硬く、新古典主義のあとに勃興するロマン派に見られるような勢いのある荒い筆跡とは一線を画する。


我々はロココ絵画の可愛らしさで語られることの多いアントワネット像に抗するためにこれを選んだ。


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